心に残る舞台
芸の力は恐ろしい。
歌舞伎とはこういうものかと思った。
演劇評論家 渡辺保
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一枚のチラシから
ここに一枚のチラシがある。
十二代目団十郎襲名披露の五月歌舞伎座のチラシである。十二代目の「勧進帳」の弁慶の飛六法の姿の上半身が右のスミに大きく写っている。
見た途端、私のなかに、あの時の舞台が澎湃として湧き上がってきた。昼が「暫」、夜が「勧進帳」。
「暫」は、新団十郎の暫に、松緑のウケ、太刀下が勘三郎、歌右衛門、延若、ナマズが羽左衛門、女ナマズが梅幸、腹出しが富十郎、吉右衛門、辰之助ら、後見が仁左衛門。
「勧進帳」は二ヶ月続きで、五月は、松緑の富樫、歌右衛門の義経、六月が勘三郎の富樫、梅幸の義経。むろん弁慶は新団十郎である。
当時の名優綺羅星の如く。私が名前をあげた人たちで、今日も健在なのは新団十郎、富十郎、吉右衛門だけである。
わずかに二十数年。隔世の感あって、熊谷ならずとも「ああ夢だ夢だ」と思わざるを得ない。歌舞伎もかわったのである。
しかしおそろしいことに、あの「暫」も「勧進帳」も昨日のようによく覚えている。よほど印象が
強かったのである。
「暫」では、暫の出る前の松緑のウケと、勘三郎、歌右衛門の太刀下のほんの二、三分の芝居が忘れられない。今も眼前に彷彿とする。
ここの二、三分の芝居は、いつもは型通り。役者もきまったせりふをサラサラといって、観客もまた聞き流してしまうから、ほとんど儀式。なにがなんだかよく分からない。むろんこの三人の人間関係もわからない。
ところが、それを松緑、勘三郎、歌右衛門がやるとグッとかわってくる。さすがに名優揃い。自然と観客も気を入れてせりふを聞くし、目がクギづけになる。三人の間のちょっとした思い入れで、実に濃厚な空間が出来上がった。その濃厚さ。思わず目を見張るような色気であった。
その結果、三人の人間関係がよくわかった。
松緑の清原武衡と勘三郎の加茂次郎は、歌右衛門の桂の前を間にした、恋のライバルなのである。
歌右衛門と勘三郎はあきらかに出来ている。ちょっと見合うだけなのに出来ているのがはっきりわかる。たしか二人は結婚していないはずだがもう関係がある。そこで松緑は嫉妬に燃えて、力づくでも女をとろうとしている。
これだけのことがほんの二言三言、せりふが行き渡って、一度思いいれしただけで、だれにでもわかるのである。芸の力は恐ろしい。そのことに私は驚いた。歌舞伎とはこういうものかと思ったし、こういう表現の体系が成り立つ演劇なのかと思った。
あの芝居で初舞台をふんだ新之助が、今を時めく海老蔵。感慨を覚えるのは私だけではないだろう。
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