心に残る舞台
懐かしい場所
NHKアナウンサー 葛西 聖司

 歌舞伎を中心に芝居を見始めたのは中学生の頃。新派、新国劇、歌手芝居、喜劇、東宝系の劇場での女優芝居にミュージカル。日生劇場の「アプローズ」では四季ミュージカルとの出会い。いやいや鈴本、末広、本牧・・・寄席もある。こどもの小遣いでは回りきれないほど楽しく懐かしい場所があった。
 思い出すのは姿が変わってしまったり、なくなってしまった劇場である。わたしは新宿第一劇場や東劇での歌舞伎は見ていない。だが東横ホールと古い新橋演舞場にはたくさん思い出がある。前者はのちに東横劇場と代わるがデパートの上にあっても電車の音や振動が響いてくるいわば「エキナカ」劇場。先代、権十郎の「渋谷の海老さま」の名はここからくるのだが、わたしが楽しんだのは今の富十郎の竹之丞時代。「仮名手本忠臣蔵」の通しで由良之助。師直が猿之助、判官が田之助、訥升時代の故・宗十郎が顔世。この一座の面白さは、大序から竹之丞が若狭之助にも出れば六段目でお才にまわるという多彩さ。この顔合わせでは訥升がお才にいきそうだが、お軽を演じる。勘平は猿之助、切腹した後、七段目で平右衛門にと大活躍。この強力メンバーに玉三郎が道行のお軽で猿之助と組み、八段目の道行では小浪で田之助の戸無瀬と共演した。期待の新星、その大抜擢のほどがわかる。昭和45年の12月。大阪で万国博覧会があった年。玉三郎は20歳だった。

 竹之丞、猿之助、訥升に雀右衛門と精四郎(澤村藤十郎)らも加わって東横劇場と新橋演舞場で何回か歌舞伎公演があった。雀右衛門の「京鹿子娘道成寺」竹之丞の「鏡獅子」
「暗闇の丑松」精四郎の「女形の歯」猿之助の「お艶殺し」。みんな若くキレイで勢いがあって、どの幕も充実していた。のちに人間国宝などになる顔ぶれだが、当時は歌舞伎公演が少なく、また上の世代に多くの先輩俳優がひしめいており、なかなか歌舞伎座での幕があけられない不遇の時代の中堅俳優。その不満をぶつけるようなエネルギーがあふれていた。

 この当時、関西も歌舞伎はほとんどなかったが、ときたま珍しい歌舞伎がかかると学割を使って東京から見に出かけた、大阪、中座では延若の「鏡獅子」や「鯉つかみ」。朝日座では武智歌舞伎復活で扇雀(坂田藤十郎)の「小栗判官」。夏の南座での花形歌舞伎で忘れられないのが先代・仁左衛門一家の「賀の祝」。当然、十三代目が白太夫、三兄弟が当時の我當、秀太郎、孝夫(現十五代目)。実の親子でぴたりと役柄がはまって、もちろんいい内容。その上、もうひとつ得をしたことがある。三人の「三郎」が三兄弟の女房役を勤めたのを見たことだ。竹三郎、故・徳三郎…ここまでは関西系だからわかるとして、もうひとりが…玉三郎。なんと、ここでも活躍していた。

 そんな東横も中座も朝日座もいまはなく、演舞場も南座もキレイに変身してしまった。
 南座の「貸し眼鏡あります」のオペラグラスの広告や中座のおでん屋さんも懐かしい。また初日特定狂言や昼夜通し割引などのサービスもあった。稽古不足の初日だからこその楽しみやお得なチケットに小遣い不足の少年は喜んだものだった。もちろん学割の割引率もずっと安かったと思う。
 いまの若者は新日屋芝居茶屋に出入りできる裕福さ。それも結構。また新しい時代の懐かしい場所をどんどんみつけていってほしいものである。もちろん芝居の懐かしい名場面とともに。
バックナンバー
HOME
新日屋に対する質問、
ご要望やお問合わせは
お気軽にどうぞ。
Copyright(c)2005 Shibaichaya Shinnichiya All Rights Reserved.