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第十三話
初芝居の曽我狂言、今いずこ
ここ数年、歌舞伎座の新春公演から「曽我もの」がすっかり消えてしまった。平成13年正月、十代目坂東三津五郎襲名公演で「寿曽我対面」をやって以来である。
市川団十郎の工藤祐経、尾上菊五郎の十郎、新三津五郎の五郎という豪華顔付けだった。
正月に「曽我もの」を出すのは江戸から明治、大正くらいまでは常識でさえあった。18年もの苦労の末に仇討の本懐を遂げた曽我兄弟の吉事にあやかって、めでたい正月興行には欠かせなかった。富士の裾野の鷹狩りにちなんで「富士」と「鷹」が登場するめでたい新春出しものといえよう。
曽我狂言流行の頂点は宝永年間(1704〜11)だったらしい。なんと、千種類もの台本が書かれたという記録がある。「助六」も「外郎売り」も、実は曽我兄弟のなりすました姿、という歌舞伎らしい発想で、曽我ものは成り立っていたのだろう。
正岡子規にこんな句がある。
初曽我や団十菊五左団小団
子規には能狂言の句はいくつかあるが、歌舞伎の句は珍しい。これは、明治33年(1900)年正月の作である。「初曽我」などという季語が新鮮である。
さて、この句には当時の劇界をにぎわせた四人の名優の名が折り込まれている。
団十は「劇聖」とうたわれた九代目団十郎(03年没)。古典歌舞伎を洗い直して、現代にも通じる近代歌舞伎を確立した功労者。父七代目の「歌舞伎十八番」に倣って「新歌舞伎一八番(三十二種)」を制定した。
菊五は生世話の名手・五代目菊五郎(03年没)。「髪結新三」「魚屋宗五郎」、「直侍」の片岡直次郎、め組の辰五郎などが当たり役。
左団が、新歌舞伎の嚆矢としての役割を演じた初代左団次(04年没)。黙阿弥の新作史劇には欠かせない存在だった。上記、団十郎、菊五郎と共に20年4月、初の天覧歌舞伎に出演した。三人は「団・菊・左」と並び称された。
小団は、五代目小団次(22年没)。名優と謳われた四代目の子。実事に秀でていたという。先の三人の名声に比べて、やや見劣りする小団次が、句の中に読み込まれるというのが興味深い。子規は、小団次についてどんな評価をしつつ観劇していたのだろうか。
それで「曽我もの落語」は―ということになるのだが、これがあまりいいものがない。
その中から一つ、 「徳利芝居」。
芝居好きのご新造さん。初芝居の曽我狂言を見に行きたいが旦那の年始回りが忙しくて出られない。思い付いたのが家伝来の「鸚鵡の徳利」。栓を抜いて口を向こうに向けておくと声も音も吸い込んでくれるという不思議な徳利だ。奉公人に頼んで、「序幕から大切りまでしっかり詰めるのだよ」
帰って来るや栓を抜くと、「まず、本日はこれぎりイ」。何と、幕切れが一番上になっていた…。というばかばかしいお笑い。
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