第十六話
双蝶々曲輪日記
 歌舞伎や落語とともに、江戸時代の人気娯楽の一つに「相撲」がある。噺家はともかく、役者と力士は江戸時代の大スター、人気アイドルであった。
 相撲の歴史は古墳時代から、という説もあるほどだから、歌舞伎の四百年、落語の三百年と比べても、桁違いに古い。相撲の嚆矢といわれる野見宿禰と当麻蹴速の合戦は小学生でも知っていよう。
 しかし、急速に盛んになったのは江戸時代である。天明元(1781)年に「晴天十日」の興行が定着した。同時に、江戸に滞在する各藩の大名が競って力士を抱え込むようになった。谷風梶之助、小野川喜三郎らに横綱の免許が与えられ、「寛政の名力士」と謳われるようになって、相撲人気は一段と盛り上がった。
 芝居に取り入れられるようになるのは自然の成り行きで、「勝相撲浮名花觸(かちずもううきなのはなぶれ)」(白藤源太)、「関取千両幟」といった相撲取りを登場人物にした芝居が多く上演された。
 そうした中で、最も知られているのが「双蝶々曲輪日記」の中の「角力場」ではないだろうか。
 恩義のため、放駒長吉に勝ちを譲る濡髪長五郎の苦悩と怒りが見ものである。二人の「長」を「蝶々」と置き換えた。四月の歌舞伎座に登場する。
 放駒と濡髪(紙)は、実在の力士だったらしい。放駒は現代では相撲部屋の名前として残っている。

 これと同じ「双蝶々」と題した落語(人情噺)がある。故・六代目三遊亭円生がよくやった。現代では、五街道雲助、桂歌丸らがときどき掛ける。―後添えとそりが合わない長吉は、実父の勧めで奉公に出るが、そこでも悪事を働き、結局、我が家に帰ってくる。だが、もう捕り手に囲まれていた―。
 芝居(浄瑠璃)の「双蝶々曲輪日記」の、登場人物の名前だけを借りて、名付けた落語である。物語はまったく別のものである。
 他の芸能から人物の名前だけを拝借する手は、落語ではよくあること。故・八代目桂文楽の十八番で知られる名作落語「明烏」は、新内節の「明烏夢泡雪」から、花魁・山名屋浦里と春日屋時次郎の名前だけ頂戴して、新内とは似ても似つかない滑稽噺になっている。
 芸能化という視点からすれば、相撲は、歌舞伎よりもむしろ落語に好かれた。強い力士も弱い力士も、落語の俎上に乗せられて秀逸な人情噺、痛快な滑稽噺へと変化して行った。ともに庶民性が愛されたのであろう。
 相撲を扱った落語には―
 三尺二寸の力士・鍬潟が雷電為右衛門に勝った話を聞いた小男が、自分もあやかろうと弟子入りする噺「鍬潟」、講談ネタだが、実在の六代目横綱の出世譚「阿武松」、提灯屋が大関の代わりをする「花筏」、人助けのために人情相撲を取る「佐野山」、大物力士は謙虚でなければならないと説く「半分垢」。ほかに、最近ではあまり取り上げる噺家がいなくなったが、「蚊帳相撲」「御前相撲」「こり相撲」「大丸相撲」などがある。
 艶笑落語にも事欠かない。
 「四十八手」という落語―、下っ端の相撲取りが死んで、三途の川を渡ろうとするが「しょうずかの婆ぁ」に渡す金がない。「相撲取りならわたしと一番取ろう。勝ったらタダで渡してやる」という。二人は回し姿で向かい合った。これが強い婆ぁで、なかなか負けない。そこで、婆さんの前袋(急所を隠す回しの前の部分)に手を入れて引っ掻き回すと、あら不思議、ヘナヘナとしゃがみ込んでしまった―。で、無事、彼岸へ。
 役者、噺家、力士の三者に共通しているのは、どこかいなせで、粋でなくてはいけない
ところである。もちろん、現代でも―。
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