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第十八話
時代が求めた“闇のヒーロー”たち
歌舞伎座六月公演「加賀鳶」で、盲長屋に住む按摩・道玄といえば、殺しはするは、強請りたかりも日常茶飯事の悪党。だが、なぜか滑稽味を漂わせる不思議な人物に描かれる。
歌舞伎には、こうした魅力ある小悪党がずいぶんと登場する。髪結新三、法界坊、和尚吉三、河内山宗俊、直侍、清心…。弁天小僧をはじめとする白浪五人男なども加えていいだろう。
いい役者にかかると本当に生き生きした面白い人物像が出来上がる。必ず、「いい役者」というのが条件である。下手がやると、そのまま、極悪非道の「本悪党」になりかねないからだ。
この“闇のヒーロー”というべき男たちが活躍する芝居の多くが、河竹黙阿弥(1816〜93)によって作られていることに驚く。
黙阿弥描く「小悪党」たちは、どこかにそこはかとないダンディズムを宿している。非道はしない、もうひとつ迫力に欠ける、抜けたところもある…など。出自が僧侶だったり、御家人だったりすることにも因はあるだろうが、何より黙阿弥戯曲がもっとも勢いのあった幕末から明治という激動の時代が背景にあったのではなかろうか。
徳川体制の崩壊を目の当たりに見、従来と180度変わった体制を強行に推し進める明治政府との間に、黙阿弥の自由闊達な執筆活動がなじむわけはない。人間の価値観をどう観るか―、黙阿弥は“闇のヒーロー”たちにその判断を仰いだのである。そして、為政者たちに不満を抱く庶民は、彼らを「悪党」と知りつつ、拍手で迎え入れたのだ。
こうした人心の底流が波打つ頃、それに沿うように同時期、落語の世界にもひとりの強烈な個性が活躍する。
「近代落語の祖」と呼ばれる三遊亭円朝(1839〜1900)である。歌舞伎にもなった「牡丹燈籠」「真景累ケ淵」「乳房榎」などの怪談ものに登場する「悪党」は、黙阿弥とはまた違った色合いを見せる「悪」である。やはり、幕末から明治への激動期に、必然的に登場せざるをえなかった“闇のヒーロー”だったかもしれない。
さて、芝居「加賀鳶」の按摩・道玄が住んでいるのは、盲長屋といって窓もない長屋である。目が見えないと偽っているが実は見える。他人の弱みに付け込んで金品を掠め取る、というのが商売のろくでなしだ。だが、図太さの反面、思いも寄らない気弱さを同居させた道玄の行動、しぐさが滑稽で、なぜか笑いを誘うのである。
目の不自由な人間を扱った落語は結構多い。しかし、いずれも視力障害をものともしないで、たくましく生きてゆく姿を描いているのがすがすがしい。
「麻のれん」「按摩の炬燵」「言訳座頭」「景清」「三味線栗毛」「心眼」「坊主の遊び」「めくらの相撲」「めくらの提灯」「藁人形」などなど。
※ 差別的な用語がありますが、原題通り使用しました。
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