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第二十話
幽霊とお化け
いつのころからは知らないが、夏になると「怪談」が芝居の舞台に上がるようになった。
幽霊やお化けが出たからといって、涼しくなるわけでも、温度が下がるわけでもないのに、夏―怪談の妙な図式が出来上がってしまった。
恐怖心や不気味さで身も心も「ぞっとする」、といった生理的な感覚からそうなったのだろうことは想像できる。
まあ、今月の歌舞伎座第二部公演「ゆうれい貸屋」(山本周五郎原作、勘三郎、三津五郎、福助、七之助ほか)あたりが、お気軽で、笑いもたっぷりで、楽しそうでよろしいのではないでしょうか。
寄席、落語の世界でも、夏は「待ってました」とばかりと怪談。―となると三遊亭円朝のオンパレード。
東京落語の看板が出揃う「円朝祭」(七月二十五、六日に終了)、五街道雲助の連続もの「牡丹燈籠」(紀伊国屋ホール)も結末の第四話「関口屋のゆすり」(八月二十日)に入る。毎年、国立演芸場で円朝の怪談に挑戦している桂歌丸は、今年初めて「乳房榎」に取り組む(八月中席)。そして、立川志の輔までが八月十六日から三日間、下北沢・本多劇場で「牡丹燈籠」を連続口演する。他にも、単発で円朝ものを取り上げる芸人は数知れない。
死後百年以上も経っている円朝になぜ?といいたいところだ。
円朝の三大怪談噺「真景累ケ淵」「怪談牡丹燈籠」「怪談乳房榎」によることは間違いないが、その円朝の命日が八月十一日。この日を記念して、五日には東京・谷中の「全生庵」に東京中の噺家が集まって、奉納落語を捧げたり、扇子供養、噺家たちによる楽しい余興、イベントも計画されていて、落語界が大いに盛り上がる時期でもあるからだ。
さて、幽霊とお化けの違いだが―、落語のギャグでは「美人が死ぬと幽霊になり、不美人が死ぬとお化けになる」などと笑わせるが、「牡丹燈籠」のお露の幽霊などを想像すると、失礼ながら納得してしまいそうである。
民俗学者・柳田国男は『妖怪談義』の中で、明快にその違いを説明している。
〔第一に、お化けは出現する場所が決まっている。そこを避ければ会わないで済む。幽霊は向こうからやって来る。狙われたら最後である〕
〔第二に、お化けは相手を選ばないが、幽霊はこれぞと決めた者にたいしてのみ怨念をぶつける〕
〔第三に、出る時間の違い。幽霊が丑三つの鐘がなるころに出るのに対し、器量のあるお化けは、白昼でも自分で辺りを暗くして出てくる。お化けは、人に見せて怖がらせるのを目的とするのに対し、幽霊はひたすら人への怨念を示すのである〕
だから、お化けは、宵の薄明かりのころが「いい出番」だ、というのだが―。
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