第二十五話
「つっころばし」と若旦那 
 歌舞伎の役どころのひとつに「つっころばし」というのがある。読んで字のごとく、指の先でちょいと突いただけで転がってしまうような軟弱な男のことをいい、二枚目ではあるが、実に頼りない男。多分に蔑称の意味を含んでいる。
 上方歌舞伎の和事師が使う立ち役の演技で、なよなよと登場した若者が、花道の七三辺りでぱたりと転んだりする。上方歌舞伎の坂田藤十郎がその演技の代表、といわれる。反対語が、団十郎に代表される江戸の「荒事」である。上方の「和事」、江戸の「荒事」こそが、歌舞伎の様式の最大の魅力かもしれない。
 その「やつし事」が、歌舞伎座三月公演に登場する。昼の部「廓文章―吉田屋」の夕霧伊左衛門である。
 よくある若旦那の例にもれず、全盛の太夫、夕霧に入れ揚げ、遊蕩三昧の末に勘当された伊左衛門。どうしても夕霧に会いたくて粗末な紙衣(かみこ=紙の着物)を着てやって来る。夕霧と「会うの、会わないの」と、うじうじと痴話げん
かを始める―。今回は、「上方和事」の一方の雄・片岡仁左衛門が演じる。
 他に、「和事」の代表としては、「双蝶々曲輪日記」で、遊女吾妻の惚れている与五郎や、仁左衛門、鴈治郎が伝えてきた「伊勢音頭恋寝刃」の神官、福岡貢などが、まさのそれに当たる。
 どこか情けないような、おかしいような若旦那ぶりが、コミカルな雰囲気をかもし出すので、落語にもさんざんダシに使われる。
 噺家は、よくまくらで「居候と古川柳はたいへん仲が悪いようでして…」などと、語り始める。この居候こそ、放蕩の揚げ句、本家の出入りの職人に転がり込んだ若旦那の姿である。

 ●ちっとずつ母手伝ってどらにする
(甘い母親が息子をダメにする)
 ●はじめては親父がはずす朝帰り
(朝帰りの錠前を開けてやる父親。「今度だけだぞ」と、いうのが子どもを甘やかす)
 ●勘当は雪か雨かの揚げ句なり
(廓遊びに行ったはいいが、雪だ、雨だと居続けることになってしまう)
 ●居候置いてもあわず居てあわず
(特に、その家の女将さんにとっては何よりのやっかい者だったろう)
 ●居候三杯目にはそっと出し

 湯屋の番台に座って、女風呂を気にする「湯屋番」の名無しの若旦那、船頭になりたがる「船徳」の徳さん、身投げを救われてかぼちゃ売りになる「唐茄子屋」の徳さん、勘当までにはいたらないものの、「崇徳院」「千両みかん」「干物箱」「木乃伊取り」などに登場する若旦那たちは、どれもこれも「つっころばし」に近い、軟弱な男たちである。
 いずれも親の甘やかしが原因で「つっころばし」が出来てしまう例である。いつの時代も同じ、ということだろうか。
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