猿若町の人々
第三回
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落語家
春風亭一朝
(しゅんぷうていいっちょう)
1950年足立区生まれ。昭和43年五代目春風亭柳朝に入門。朝太郎で前座。昭和48年二ツ目昇進。一朝と改名。昭和57年真打ち昇進。昭和59年国立演芸場花形演芸大賞、昭和61年「若手花形落語会」で芸術祭賞受賞。NHKの時代劇でことば指導にもあたる。(社)落語協会理事。
どうやら落語ブームは本当らしい。依然年配層が多いものの、寄席の客席は老若男女入り乱れている。
「僕らの若い頃は、若い女性が一人で聞きに来るなんてことは無かったんですから。たまに来ていると、あれは俺を聞きに来たんだ、とかね(笑)今はよくいらっしゃってますね」
きっかけはテレビドラマだったかも知れない。しかし、生で接する話芸の魅力にとりつかれる人も多いのではないだろうか。場内は思い思いに寛いだ雰囲気で楽しんでいる人たちばかりに見える。
「僕らにとって寄席というのは道場。真剣勝負の場。落語会と違って、時間つなぎに寄った人が来るでしょう?ついでに来た人を笑わせるのは至難の業。だから笑わせると、やった!ってね」
一朝師匠は代々の江戸っ子。父は着物の刺繍職人で、母は仕立をしていた。着物を着る職業に憧れていて、もともと好きだった噺家になろうと、八代目林家正蔵師匠宅を訪ねる。当時マンションに住んでいた師匠たちが多かった中にあって、そこは稲荷町の長屋、のれんが下がっていた。
「粋だなあ、これだ!思ってね」
若い弟子はもう取らないから、と総領弟子だった五代目春風亭柳朝師匠の弟子となった。子どもがいないこともあって、とても可愛がってもらったそうだ。
実は師匠は二ツ目の時に、歌舞伎座で囃子方(はやしかた)のアルバイトを8年間もされていたという経歴の持ち主。黒御簾の裏側から間近に芝居の魅力に接した。
「松緑さん(二代目)とかね。大感激しました。仕事が終わると毎日歌舞伎座に通いましてね。名優の芸を見られるんですよ。それもただで」
もっとも、奥様が歌舞伎役者の片岡市蔵さん(先代)のご長女だというから、狙いはそれだけでは無かったかも知れない。奥様も江戸っ子。義父である市蔵さんの言葉は綺麗な江戸弁だったそうだ。
「よく一緒に飲みました。酔うと江戸弁がドンドン出てくる。『何を言ってやんでい』が『…ってやんでぃ』のように、言葉がつまったりします」
そういう江戸の言葉が出てくる古典落語の会話は、実際に話されていたものなのだろうか?
「実際はもっとわからない言葉ですよ。時代、時代で直して来たんです。まるっきりそのままは歌舞伎。落語の場合は江戸風の今の言葉です。お客さんにわかって貰わないとどうしようもないんでね」
つまり、落語は時代により、人により味付けされ、変化して来た。また、落語家にとって噺を自分のものにするというのは、十年、二十年やってその人の個性が発揮されてこそ。そうすることによって逆に伝わるものがあるのだろう。落語は小難しい、古いものではなく、常に変化し続ける生きた芸なのだ。しかし、この世知辛い世の中にあって、若い世代に人情噺などは通じるのだろうか。
「最近、初めて寄席に来て人情噺を聞いて感動しました、という若い人からの手紙を貰いましてね。捨てたもんじゃないなって。心配することないんですよ。本当はこれだよ、っていうものをしっかり守って行けば。後は何が来ようが、土台だけはしっかり培っておけば大丈夫だと思います」
師匠のお話を伺っていると、世の中案外捨てたもんじゃない、と思えてくる。江戸の人情は、現代にも通じる。なぜなら、時代に歩調を合わせながらそれを伝える技がここにあるからだ。この師匠の教えを受けた弟子の朝之助さんが3月に六代目柳朝を襲名する。
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