猿若町の人々
第四回
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東京新橋組合副頭取
小千代
(こちよ)
芸者さんの一日はとても忙しそうです。朝早く起きて身仕舞いをすると、見番(けんばん・芸者衆が所属する事務所兼稽古場)に来て、それぞれお稽古。お座敷の「お約束」は6時から8時までですから、それまでには着替えてすっかり支度を整えます。お座敷では「お椀が温かいうち、お刺しが冷たいうち」に余興を始めます。その後はお客様次第。一日は稽古とお座敷で費やされます。
芸者さんというと、何か華やかで、特別な生活を送っている人たちのようなイメージを持ちますが、実は芸道精進、研鑽の日々を送られているといいます。
「普段の生活はいたって普通ですよ。お料理や家事も一通りこなしますし、お芝居や、さまざまな会も参考になるものは拝見いたします。お休みには旅行やゴルフへ行ったりする人もいます。芸者は何でも出来ないと損なんです」
お芝居を観るのも、ゴルフへ行くのも、お座敷でどんな話も出来るように、少しでも芸のためになるようにと皆さん意欲的なのだそうです。
小千代さんは、母上が置屋をしてたので、満十四歳の時にごく自然に芸者になりました。その頃から憧れだったのが、新橋芸者のまり千代姐さん。まり千代さんは当時絶大な人気を誇る、新橋花柳界の伝説的なスターでした。見目麗しい立役(男役)のまり千代さん見たさに、全国各地からファンが押し寄せ、ブロマイドを持った女学生が楽屋待ちで並び、料亭でも手に入りにくいチケットをダフ屋が劇場近くで売りさばく、そんな光景が繰り広げられたほど。
芸者さんにとって東をどりの舞台に上がることは、何より晴れがましい事なのだと言います。
「東をどりにこがれていました。ただお座敷に出るだけでなく、余興の芸者になることが目標。東をどりに出るために、一生懸命やりました。お座敷も忙しく、毎日踊り続けているような状況でした」
ですから、思いもかけず、まり千代さんと踊った「露のいのち」(北条秀司作、『朝顔日記』が原作の舞踊劇・昭和五十年の東をどり)は、忘れられない舞台となったそうです。
「全盲の主人公深雪を私がやって、相手役の阿曾次郎をまり千代姐さん。「死んでも悔いはございません」というところがあるのですが、まさにそうでした。大感激しました」
戦後、大変賑やかな頃は千人以上いた新橋の芸者衆も、現在は70人を切っています。今もし、若い人が芸者になりたいと思ったら、なれるものなのでしょうか。
「芸事が好きだったら、芸者衆は良いですよ。長く続けられますし。またいろいろな方にお目に掛かれますし、日常的な礼儀作法も学ぶことができます」
それには、しかるべき方からのご紹介があった上で、試験を受けるのだそうですが、着物は基本中の基本。そして何か一芸出来なくてはならないのは言うまでもありません。
入ってからも皆さんお稽古に余念がありません。踊りの他にも長唄、清元、常磐津、小唄、端唄、狂言、お茶など日本の芸事を、当たり前のようにたしなんでいるのだそうです。そこでは各界のお師匠さんとの交流があり、日本の文化はこういった場所でも脈々と受け継がれているのです。
「私もいろいろ興味を持っていますし、もっとお稽古したいんですけど、忙しくて自分がお稽古する時間がないんですよ。」
小千代さんの芸へ掛ける意欲はいまだ尽きることがありません。また後輩へ指導に当たる時間も貴重です。
「先輩から教えていただいた花柳界ならではの古いものを次へ残しておこうと思っております。私たちは常に研かなければなりません。若い方にも伝えておきたいと思っております」
研き続けた人の美しさ。
「この世を精一杯。今日一日を大事に。今、感謝しておりますのよ。ですから生まれ変わったらなんて考えたことございません」
新橋芸者の心意気のほんの一部に触れさせていただいた気がしました。美しい文化の担い手が、ここに凛として存在しています。
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