猿若町の人々 第七回
紀尾井町福田家総料理長
牧内淳治(まきうち じゅんじ)
素材を大切にする
日本料理を守り伝えたい
簡単に言って、料理とは単に舌先だけで味わうものではなく、また弄ぶものでもない。耳から、目から、鼻からと、様々な感覚を動員して、「美」と「味」の調和を楽しむものだと思う。(北大路魯山人)
─ 福田家は、北大路魯山人の美学を受け継ぎ、その伝統を大切に守り続けている名料亭です。昭和39年に福田家に入った牧内さんは、以来四十余年、たくさんのお客様をもてなしてきました。
「われわれ日本人は自然の食材の持ち味を味わう民族で、今日まで必要以上に手を加えないことを第一条件としてきました。果物は熟して美味しくなるのを待ってから食べる習慣があり、不味い物を加工し旨くして食べることはしなかった。食材が美味しくなる時季を日本料理で「旬」と言い、一般の人たちが食べないうちに、出はじめを味わうという贅沢を「走り」と言って、むかしから高級料理店などで珍重しました。また、その食材の旬が過ぎて、その年の終わりに食べるものを「名残」(なごり)と言います。しかし、現在では農業技術の進歩や、輸送力の増強、保存加工技術、養殖技術の進歩などによって、ほとんどの食材が年中手に入るようになり、「旬」が失われ、日本の調理技術も変わってきました。時代の変遷にともなって日本料理が変化していくことは避けられませんが、伝統的な味や様式の独自性を失い、どこの料理かわからないものになっていくことは大変残念なことです」
「たとえば、以前はごま豆腐を作るのには大変手間が掛かりました。「いりごまは2粒はねたら」という教え通り、ゆっくりと大きな鍋で炒ってから、二人がかりで当り鉢で油が出るまであたった。それを裏ごししてやっと準備が出来ました。ところが今は機械で10分です。たしかに、いつも機械で作られたごま豆腐を食べていれば気が付きません。でも食べ比べれば違います。機械にかけると食材が熱を持ってしまい、やっぱり味は違って来るのです」
「魯山人は「料理とは理(ことわり)をはかること」と言いました。理を知ることで抑えるべき要所が見えてくる。味作りの裏付けを知り、教科書レシピでは絶対にまねができない、長年の経験があってはじめてできる技、そこに料亭の日本料理のプロとしての隠し味があるのです」
─ 牧内さんの秘蔵アルバムには、過去に福田家を訪れた国賓来日の折の写真が収められています。玄関の取次には緋毛氈が敷かれ、琴の生演奏でお出迎え。庭には篝火が焚かれています。
 
「トータルで日本料理なのです。座布団を、季節に合わせて絽にするか、お軸を何にするか。部屋のしつらいをどうするか、すべて含めて日本料理なのです。器一つとっても本物を使います。輪島塗のお椀かそうでないかは、わからない方にはわからないかも知れませんが、わかる方が同じだけいらっしゃる。よく先代のおかみさんにそう言われました。ですから手を抜けないのです」

─ 料理だけではなく、すべてに気配りと演出がある。これこそ他では経験出来ない料亭での素晴らしいおもてなしなのです。

─ 15歳の時、手に職を付けるために信州飯田を出てきた牧内さんは、最初は洋食の見習いから始めましたが、そこで出会った割烹の中筋先生の勧めで和食の世界に入りました。その後料亭をいくつか経てのち福田家へ。柔和な笑顔そのままのお人柄のせいもあるのでしょう、今や政財界のトップを始め、沢山の方から絶大な信頼を寄せられて、日本料理界を代表する料理人となられました。
 そして現在、牧内さんは、宮内庁や(社)日本料理研究会などで後進の育成にも力を注がれています。日本の食文化が作り上げてきた、季節感を大切にして、素材を五感で味わうという日本料理が、正しく受け継がれることを強く願いながら。
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