猿若町の人々 第九回
抹茶菓子本所一ツ目
越後屋若狭八代目主人
桑原宏太
(くわはらひろた)
 そのお店は隅田川の左岸、両国橋と新大橋の丁度中間に位置します。回向院がほど近く、付近には大名の屋敷が建ち並んでいましたが、災害が多い土地であり、往年のまちの面影はあまり残っていません。
「昔の資料は何も残ってないんですよ。菓子の道具から何から全て焼けてしまって。唯一残っているのが過去帳だけなんです」
 ですからご主人の知らないお店の歴史については、意外な方面から教えていただくことが多いのだそうです。たとえば、現在松江の和菓子と言えば、日本三大銘菓の一つに数えられる「山川」が有名ですが、このお菓子は、茶人として知られる不昧公(松平治郷。松江藩主。1751-1818)が江戸で越後屋さんのお菓子を気に入り、松江に持ち帰ったものが今に伝わるお菓子なのだそうです。その事は島根県の方から資料を見せて貰い初めて判明しました。その松江の「山川」とは違うものですが、越後屋さんに今も「山川」が残っています。
 また、父上の残した手記の中には、明治12(1879)年、グラント将軍(のちの第18代米国大統領)が来日した際に催された歓迎会のお菓子を、越後屋さんが出したことが書かれてあるそうです。他にも伊藤博文、山縣有朋、北大路魯山人、棟方志功など名だたる名士、芸術家に贔屓にされ出入りがあったと記されてあり、江戸後期から、江戸・東京で和菓子といえば、その名を知られた名店であったことを知ることが出来ます。
 そんな歴史のあるお店の初代は、越後の人だったという事以外、どこでどんな修業をし、どう店を出したかはよくわかっていません。
「初代が亡くなったのが明和3年(1766年)ですから、創業はそれより30年ほど遡った今から270〜280年前じゃないかと考えています。今のように店頭にお菓子を並べないで売るようになったのは、明治に入ってからじゃないかと」
 そう、こちらのお菓子はすべて予約販売。注文があった分だけ丁寧に作られるものです。駅から遠く、いわば離れ小島のような場所に店を構えているにも関わらず人気があるのは、その販売方法にお店の姿勢が表れているからかもしれません。
「お客様の手に渡るまではこちらの責任ですからね。通信販売など出来ません。召し上がっていただければわかるように、到底無理ですから」
 このお店の夏限定商品のひとつは水ようかん。その繊細な柔らかさは、出された瞬間にも溶け出しそうなものです。お客様に渡す際には、そっと持って帰られるように、その日中に召し上がっていただくようにと念を押されます。
 ご主人は小さい頃からほとんど口伝でお菓子づくりをたたき込まれました。
夏の定番。水ようかん
「職人になるのが当たり前みたいな感じでした。継いで商売をやっている以上はお客様に変なものは出せませんから、一生懸命こしらえています。毎日同じものを作っていても、手で作っていますから、先代と同じものを作っているつもりでも微妙に違います。型で作れば皆同じですけれど、やわらかみが出ません。百こしらえると、百とも微妙に違います。それが逆に面白いのかもしれません」
 決して好きで選んだわけではないとおっしゃる道を今、息子さんと共に歩んでいらっしゃいます。最近建て直したというお店は、こぢんまりして、一見普通のお宅のようです。知らなければ誰もここが和菓子屋さんだとは気が付かないでしょう。そんな店構えを望んだのは息子さんでした。
「食べて行ければいい、と言うのでこうなりました。かと言って霞を食べていける訳じゃありませんから、どうなるかわかりませんけれど。でもまあ時代は変わっても、その時その時の良いことがありますから。周りが変わっていくことは少しも気になりません」
 変化の多い世の中にあって、流れに逆らわず、飲み込まれず、静かに佇む、という潔さ。こちらのお菓子が多くの料亭に愛用されてきたのは、そんなところにも理由があるはずです。
越後屋若狭
(全ての商品は予約販売制)
墨田区千歳1-8-4
電話 03-3631-3605
(定休日/日・祝)
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