渡辺保「歌舞伎劇評」
「隠亡堀」の出会い
2008年5月新橋演舞場
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 五月二日の初日に新橋演舞場を見た。
 ここのところ恒例になった吉右衛門一座である。ところが芝居から帰って急に熱が出て体調を崩してしまった。「四谷怪談」の崇りでもあるまいが、同じ日に初日を開けた歌舞伎座もまだ見ていない。劇評が遅れたのはそのためである。
 さて、その「四谷怪談」。三角屋敷と夢の場、小仏小平の内を抜いて、序幕浅草額堂から仇討ちまで全四幕の通し。夜の部はこの一本立てである。
 吉右衛門初役の民谷伊右衛門は、序幕浅草額堂から裏田圃の殺し、二幕目浪宅と、この人にしてはいささか描線が弱い。一つは初日であるためのまだ暗中模索、一つはこの役が最初は普通の人間で徐々に悪人になって行くというところを考えてのことだろうが、いつかの藤川水右衛門のような南北物の手強さを期待して行った人間にはいささか物足りない。
 その吉右衛門が俄然本領を発揮するのは三幕目の隠亡堀である。
 釣糸をたれてフッと気がつくと煙草の火がない。目の先の土手下に鰻かきの直助権兵衛。高二重の上から深編笠の伊右衛門、下から直助権兵衛。顔を見合わせてなんとなく上手へ逃げる伊右衛門、呼び止める直助。いつもの通りの芝居だが、この出会いの瞬間が面白い。吉右衛門と段四郎という芸質の違う二人の取り合わせのためである。二人に鷹揚な味があるのは、鶴屋南北が初演の七代目団十郎と五代目幸四郎のニンにはめて書いた味が二人にもあるからである。
 いよいよお弓を蹴落として伊右衛門が網笠をとる。「首がとんでも動いて見せるわ」。大きさといい、凄みといい、厚手な芝居運びといい、やっと満足した。画龍点晴の一瞬である。
 つづくだんまりは、この二人に福助の三役小平女房お花、染五郎の佐藤与茂七がからんで、ほどのいいアンサンブル。背景の野遠見が最近珍しくあまりリアルでないのもいい。
 福助初役のお岩は、正月以来常盤御前、揚巻、小町姫、墨染、夕霧と当りつづけの役者にとって必ずしも有利ではなかった。浅草裏田圃はさしたることもなく、浪宅前半は歌右衛門とは大分手順が違って(それはそれでいいが)しっとりしたところがもう一つ鮮明でない。ことに芝居がクライマックスにむかうにしたがってせりふ廻しが高調子で上すべりするのがよくない。その欠点は亡霊になってからも出る。演技過剰。
 歌六の宅悦、染五郎の与茂七、芝雀のお袖、錦之助の奥田庄三郎、京妙のお梅。

 昼の部は、亀治郎、染五郎の「毛谷村」、福助の「藤娘」に亀治郎、染五郎の「三社祭」、歌昇、錦之助の「勢獅子」の踊り三段返し、吉右衛門、芝雀の「一本刀」。
 吉右衛門の「一本刀」はすでに何度も見たものであって悪かろうはずはないが、今度はことさらサラサラとして淡泊。力まず、衒わず、嫌味なく、余裕のある出来である。それでいてするところは突っ込んでいる。たとえば序幕第二場の利根川の渡し、幕切れの空を見た顔が、実に屈託のない明るさ、素直さで、印象深い。大詰もお蔦親子を見送ってジッとなるところがうまいが、さらにそのあと荷物をとって、桜の樹の下で腕組みをして向こうを見る姿が、自然でありながらおのずから絵になっている。この兼ね合いがさすがにうまいものである。
 芝雀のお蔦は、これも自然に素直に運ぶ芝居が吉右衛門に合っている。船印彫師辰三郎は錦之助。波一里儀十が歌六。船戸の弥八が歌昇、染五郎の掘下げの根吉。なかでは歌昇の弥八が出色の出来である。
 さて一番目に戻って「毛谷村」。
 一月浅草公会堂の「金閣寺」の雪姫につづく亀治郎の雀右衛門写しの第二弾のお園がいい。初日といい、まだ雪姫ほど念入りでないところもあるが、とにもかくにも雀右衛門独特の味わいが舞台に写せたのは大手柄である。
 いいところを二つ。一つは六助と知ってはずかしそうに竹本の三味線にのって二重を下りるつけ廻しがこってりと丁寧なこと。これでなければ義太夫狂言は困る。もう一つはくどきの「一つ家に」で上手斜め向きに振り返った姿のよさ。ここまでキッパリきまって味が出たのがいい。
 悪いところを二つ。一つは初日のせいか男女のせりふ廻しが安定しないこと。
 もう一つは「なんの家来の一人や二人、どうなとしたが」の件りの臼を使うしぐさが段取り芝居で色気がないこと。しかしどちらも日がたてばおちついて直るだろう。
 染五郎の六助は、この役には線の細い自分の条件を知って芝居を大きくこなす技法を覚えつつあるが、今のところはまだ未完成。
 吉之丞のお幸が当然のことながら、この一幕中一番の出来。旅姿で花道へ出たところの人品のよさ、役の格、一目で大々名の剣術師範の奥方と知れるのは年の功である。吉之助の斧右衛門は思いのほか平凡だった。
 錦之助の京極内匠は憎味が効かない。ニンにないのだろう。
 上中下三段返しの踊り三番は、まず福助の「藤娘」が一番の出来。くどきがしっかりしているのが第一である。藤音頭や松づくしがいくらうまくてもくどきがうまくなければ話にならない。そのくどきがいいのは踊りがいい証拠である。
 次の亀治郎の善玉、染五郎の悪玉の「三社祭」は、この間の「三番」と違ってまことに面白い。二人の芸風の違いがよくかみ合っている。
 それに反して最後の歌昇、錦之助の「勢獅子」が思ったほど面白くないのは、二人の芸風の違いが「三社祭」ほどの二人ほどの違いがないからだろう。
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