和心回帰
WASHINKAIKI
「戯場国(芝居国)」という劇空間

 江戸の劇作者 式亭三馬は、劇場を「戯場国(けじょうこく)」というひとつの国とみなし、そこで行われる演劇そのものと役者と観客は一体化していて、そこに特有の現象や風俗が存在したと語っています。戯場国においては舞台と観客席とが「同じ天を戴く」関係であり、立錐の余地もない大入りになると見物客は舞台に上がって観劇し、役者は足元を大勢の観客たちに囲まれながら、わずかな空間で芝居し、踊りました。いわば観客席と舞台は融合していて、舞台に降る雪や桜の花びらは観客の上にも舞い降り、芝居の時空を観客ひとりひとりが共有していたといいます。
 戯場国は、吉原と並んで「非日常的時空」をもつ別天地とされ、そこへ向かう人々は心ときめかせて早朝から芝居見物に向かう準備を整えました。戯場国はワクワク感に溢れる劇空間であり、江戸庶民は築地から屋根船に乗って隅田川をさかのぼり、浅草猿若町の芝居へと向かいました。
江戸の芝居茶屋の役割

 戯場国へ行く一日は、朝10時から夜6時までたっぷり終日を要し、人々はゆったりとした物見遊山として芝居見物を楽しんだといいます。
 当時、芝居見物の盛り立て役として、芝居茶屋が存在しました。芝居茶屋は、一般には芝居小屋と隣接した食事処で、見物客のための座席予約や乗り物などの事前手配を一手に引き受け、芝居当日には茶屋から直接、芝居小屋の座席まで特別通路で客を案内し、幕間には弁当や茶菓を供していました。芝居見物といえば、芝居を見る以外に、芝居茶屋での食事のひとときも楽しみのひとつになっており、幕末から明治の動乱期を生きた女性 今泉みねによる芝居見物の回想記によれば「桟敷の中におすもじやお菓子や水菓子など運ばれてみんなで賑やかにいただきましたが、上気して喉がかわいた時の水菓子のおいしさは今もおぼえています」(『名ごりの夢』)。
 当時の芝居の座席予約は芝居茶屋に依頼する以外に方法はなく、芝居茶屋を経由しての芝居見物は最上等に属していました。すなわち、芝居茶屋は「戯場国」の一端として重要な役割を担っていたのです。
次へ
HOME
新日屋に対する質問、
ご要望やお問合わせは
お気軽にどうぞ。
Copyright(c)2005 Shibaichaya Shinnichiya All Rights Reserved.